「町田市との情報交流&調査」印象記施設内の案内される参加者
2004-3-12
黒沼貞志
活動委員会および生活福祉課の設定にて町田市を訪問する機会が有り、アレンジは殆ど生活福祉課殿にお願いすることで楽をさせて戴きましたが、公的交通機関を使用してのはじめての遠出でした。
以下にランダムですが旅程の流れに沿いバリアフリー、ユニバーサル・デザイン&福祉のまちづくりなどの視点から気付いた点を列記いたします。
車椅子を使用した方を同行する場合は前もってJRに直接コンタクトを取るのがベスト。
旅行代理店など途中に介在者が入ると情報がうまく伝達されない可能性があります。
JRのサービスはかなり向上しているので旅程を全て伝えておくと行く先々への連絡も実施される点確認できました。
山形新幹線の車両は車椅子専用車両があるようです。一般車両ですと通路を通過できないため車椅子専用車両を指定すべきです。
以上の問題を経験できましたが、町田駅まではある程度スムーズに運びました。
町田市役所担当者&町づくりメンバー(市民のメンバー)との交流&調査
今回の活動の大きな収穫の一つは、また新たな人的チャンネル(行政レベル&市民レベル)が得られたこと。
交流の後の宿泊先への移動にて経験した反省点
陽春ほんわか町田行き
16・2・19(木)
近野孝喜
町田駅構内のチョット古いみんなのトイレは、L字型の手すりがなかったので、立ち上がる時に苦労しましたが、入口の手すりがたて長の太くて丈夫な手すり(とって)でしたので、それを利用してできたので、一応まるです。
町田駅ルミネ・レストラン街の台湾料理はチャーハン(えびレタス)を注文して、おいしかったです。テーブルが低かったので、上半身が頑丈な人達はいいのですが、肘を使わなければいけない人達には困難だと思います。
心のバリアフリーは、金がかからないと聞いた時には、目からウロコ状態でした。しかし、金がかからない分だけ逆に心のストレスがたまらないようにしなければならないのかと思います。
町田市内のみんなのトイレは四百ヶ所ある(市職員・青木氏に街中を歩いているときに、お聞きしました。)不備な点があると、大下前市長が直接市長室に設計士や関係者を呼んで指示、依頼していた逸話があると、設計士の香西さんに車椅子を介助して頂きながらお聞きした話が興味深かった。
施設内のトイレ
手すりも必要な時に必要な所にないとただの棒です。
三和住建・志水様の印象に残る言葉。
何事にも「ありがとうという感謝の気持ち」を持ちつづける。
帰りの山形新幹線「つばさ」の車掌さんの機転で車椅子席と前の座席を回転させて、向かい合って3人分確保して頂いた時は、感謝の気持ちでいっぱいでした。
秋田新幹線「こまち」のように、座席回転レバーは「つばさ」には付いていなかったし、足ペダルで座席が回転するが、窓側に回る為通路側にある車椅子からの移動には誠に不便この上ないのです。
東京駅の山形新幹線ホーム迄の新しいエレベーターがスケルトン式で出来上がっていたのが新しい発見です。以前のようなレンガ型地下通路では、疎外感はあるし、土産物を選択するワクワク感が皆無だったから・・・・・。
新横浜駅のエスカレーターは、床面が半回転して車椅子キャスター固定設備が出てくる方式で、初めて利用させて頂いたが、安心感があり、移動も心なしか快適でした。
最後に、同行して頂いた方々、この旅で出会った人々すべての方々に心より感謝致します。
『ゆったりユニヴァーサルデザインヨコハマ』
〈三渓園〉トイレの引き戸かなり重い。
〈ランドマークタワー〉69階トイレ良好
〈元町〉ショッピングストリートで二人の車椅子の方に会う。街の雰囲気を楽しんでいた〈中華街・大珍楼〉入口6段を従業員3名の人海戦術で上げて頂き感謝・感謝
〈横浜駅・東口〉西口と違い、対応良好。
〈神奈川交通タクシー〉元バスガイドの方。
町田市視察に参加して
高橋孝子
今回の視察で一番印象に残ったことは、町田市では、昭和45年頃から福祉の街づくりが始まり、北欧で広がったノーマライゼーションの運動を、当市でも実現すべく様々な施策を開始していると言うことです。国ではようやく2000年に交通バリアフリー法が制定されたわけですが、町田市では昭和47にはリフト付きバスを運行させ、「福祉の街づくり」が市民生活に定着したかたちで、30年も前から進められていると言うことに驚きました。
障害者対応の街づくりから高齢者対応ヘ、バリアフリーからユニバーサルデザインへと広げ30年の歴史を着実に積み上げ「心のバリアフリー」の啓発と共に、交通アクセス・公共施設・高齢者の住宅へと様々な政策を継続して実現させていることが素晴らしいと思いました。
町田市のこれからの課題としては、、ユニバーサルデザインによる新しい街づくりのため、当市で作成した「私にもできる支えあうまちづくり」「みんなでつくるやさしいまち」を配付して啓発に取り組んでいくということです。
山形市もハード面だけでなく、市民の心の啓発に大いに町田市の取り組みを参考にさせていただき、私たちバリアフリーチームも、山形の街づくりに、少しでもお役に立てればと感じてきました。
忙しいなかいろいろ準備をして暖かく対応して下さった町田市心のバリアフリー部会委員、福祉のまちづくり推進協議会委員の皆様、そして引率して下さった鞠子係長のご配慮に対し厚く御礼申し上げます。
町田市視察に参加して
点字ブロックに物をおかないで
石山房子
冬の山寺の風景は冷えこんだ早朝が最も美しい、雪のかかった松の木は、あたかもすみ絵の如くである。久しぶりに山寺駅のホームに立った私は、つめたい風をほゝに感じ身のひきしまる思いがしました。高校生に助けられながら仲間のいる山形駅へと向かった。
山形市から町田市へ、雪国が一変して春うららの町田、そろりそろりと歩いていた雪道から鳥の羽根がついた様な気分で道幅の広い歩道の点字ブロックをたどりながらルンルンと歩いた。
健康福祉会館での話し合い、ふくしにかかわるあらゆる分野からの出席者の意見に取りくむ熱意と歴史の深さを感じられました。町田市の駅、視覚障害者の私は人ごみの中を通ることもなくあっという間にのるホームに立っていたのがおどろき(今までの経験歩く距離が長い)
山形に帰ってから思った事は意識改革の必要性、障害者が積極的に働きかける事、外出時は黄色リボンをつけること、等これからの山形のまちづくりに提案していきたいと思います。
東京都町田市を訪問して。
2004年2月19~20日
鈴木幸子
街中のトイレ標語「誰でも使えるトイレ」には、感心した。
町づくりは、やっぱり人の出会いが第1歩と思った。
町田市の会議での発言で、市民と行政の信頼関係あるのが伝わった。
自分達の町田市を客観的に認め合い、福祉の街づくりの先達の町なのに、今に満足する事なく、1歩前進する街づくりの取り組みが市民側、行政側両方から聞く事ができた。
自分も加入している、「日本福祉の街づくり学会」会員と出会い(市民側1人、行政側1人)価値観が同じ方々と出会い嬉しかった。
特に「心のバリアフリー部会」が、活発だった。
山形市でも、市民にもわかる(中学生)印刷物があれば良いと思う
(ぜひ市民に)分りやすい目に見えるパンフレットにしたい。
町田市の方々を山形市にお迎えし、会議をもちたい。(シンポジューム等)
淡紅色の小彼岸桜に嘆声あげ春はやき横浜の小路を歩む
中華街を車椅子に行く異国の人熱き甘栗を手のひらに置く